私たちの體(からだ)は様々な臓器や結合組織の集合体で、それらはすべて細胞で出来ている。その細胞を細かくみていくと細胞は分子で出来ていて、分子をさらに細かくみていくと原子となり、原子をさらに細かくみていくと原子核と電子となり、さらに細かくみていくと陽子と中性子となって、これらは素粒子と呼ばれるものである。
體も山も海も水も空気も光も地球上にあるものはすべて素粒子で出来ていて、感情や意識やエネルギーなどみえないものに関してもすべて素粒子で出来ている。
量子物理学で有名な実験に「二重スリットの実験」というものがある。光を二重スリットに照射した時にカメラ等で観測した時とそうでない時では違った照射結果がでるという実験で、二重スリットの実験により素粒子は波と粒子という2つの性質を保持していることが証明されている。
素粒子は観測されていない時は波の状態で、カメラで観測したり人が観ている状態だと粒子の状態に変わるということなので、素粒子は観たり意識していない状態ではどこでどうなっているか解らない状態だけれども、観たり意識すると粒という形になるので、意識すればどこにどうあるのか解る状態になるといえる。
地球上に在るものすべてが素粒子からできており、二重スリットの実験で証明された意識すると形になるといことを照らし合わせると物体の様に形あるものは勿論のこと、感情や意識などすら観たり意識するから存在するといえる。
上記学説を楚としたら如何なる施術にもいえることだが、受け手が施術を信用していない時点で施術効果はでない。これは信用していない時点で「良くなる」という処に意識がいかないので「良くなる」ことが存在出来ないことになってしまうからである。また、そもそも體の痛みや悪いことに気づいていない場合も本人からみると體の痛みや悪いことがそもそも存在していないのだから施術によって改善したとしても気づかないという現象が起きてしまう。
施術に絶対は無く、合う合わないがあるのは量子物理学的にみても仕方のないことなので、現段階では直感や腸感を駆使して自身の體に合った信用出来る施術を各々で探してもらうしかない。體の不定愁訴に気づいてないパターンでいくと海水温熱療法は面白い施術といえ、この施術は悪い箇所が熱い(健全な箇所は心地よい。)という否が応でも悪い箇所が不可抗力的に体感出来る仕組みになっているので、少なくとも體の何処が悪いかを知ることが出来る。これは不定愁訴があることを認識し意識することが出来るということになり、意識出来るということは存在することになり、存在すれば良くすることも可能になるということにもなる。
ただ、少々厄介なのが患っている部位を強く認識し過ぎてしまうと、意識が強すぎて患っていることが存在し過ぎてしまうことになり一向に治らない場合もでてくる。特に癌などの命に危険があるという概念が植え付けられてしまった病気の場合はこの悪循環に陥ってしまうことが多い。
ここ最近のクライアントさんで癌を患っていらっしゃる方は幸いなことにステージや進行具合に関わらず、悲壮感も然程なく治るということを信じられている上に、脹脛がパンパンに張るまで卓球をしたり、音楽ライブでずっと跳ね続けたり、膵臓癌の腫瘍マーカーが振り切っているのに甘いものを一切やめない方々ばかりである。悪循環に陥ってないクライアントさんに何度か施術していると患部に吸い込まれる様に熱が入ることがあり、そんな状態の時は無意識的に「もう癌は大丈夫ですよ!」などの言葉を発してしまう場合がある。クライアントさんは勿論喜ばれるから、それはそれでいいことなのだが、私はその日から「なんでそんな無責任なこと言ってしまったんだろう。」と、もやもやそわそわする。これは数日から数週間後に「病院で検査したら癌が治ってました!」とクライアントさんから連絡がくるまで続くので、しんどいから最近は言わない様にしているが、クライアントさん側からみると私がそれらの発言をすると癌が治ったという意識が働くから、そのことが存在して現実化するのも改善の一端を担っていそうで、所謂思考の現実化と曰われるものだろうと推察される。
勿論素粒子の量子力学的見解がすべてであるとはいえないが、それがまったく無いという証明も現代の科学や医学ではなんら証明出来ないので、結局のところ各々の感覚と価値観で切り開いていくしかないのだと思う。