海水温熱療法発案者“嘉数富男”さん回想禄

私が海水温熱療法をはじめて受けたのは8年前。そして海水温熱士になったのは7年前。はじめて海水温熱療法を受けた時の衝撃は今でも忘れませんが、嘉数富男さんにはじめてお会いした日の衝撃も今でも忘れません。
よれよれのステテコによれよれの白の肌着を身に纏い、椅子に座って煙管をくゆらせていた嘉数さん。挨拶をしながら自己紹介云々を伝えると、それに対して何かを仰られていたのですが、沖縄弁がきつい上に歯が1本もないのも相まって殆ど解読不能な状態。3回以上聞き返すと切れられるという事前情報がありましたので、細心の注意を払いながら会話した緊張感を今でも鮮明に記憶しています。
一緒に呑みにいくと会話や食事を愉しむよりも、たんたんと泡盛を吞みながら僕たちが楽しそうに呑んだり食べているのをみて愉しむというスタイル。酔いがまわってくるとタクシーの運転手に怒鳴りだしたり、スナックのママさんのカラダを触り始めたりと多少酒癖の悪さもある嘉数さん。
プライベートでは破天荒なエピソードを色々と耳にしていましたが、施術に関してはいつも真剣。クライアントさんに真摯に向き合い少しでもなんとかしてやろうとする昭和の頑固親父的な優しさと熱意は施術者の模範といえる方でした。
嘉数さんの施術は他の温熱士にはない圧倒的な何かがありましたので、少しでも近づける様にと沖縄に何度も赴いて施術を受けたり、時には嘉数さんに施術させていただく機会をもらったりしていました。はじめのうちは「お前は駄目だー!」とか「お前の身体は悪すぎる!」とか「◎△$♪×¥●&%#!」など強烈な激励をいただくことが多かったのですが、私自身が成長していくうちに「お前は超ヌーだ!(与える側の善人だという褒め言葉らしい。)」とか「お前は凄いモノを持ってるから頑張れ。」とか「お前たち2人が沖縄と温泉療法をこれから担っていくんだからな。」などの言葉を頂ける様になっていきました。
2024年6月19日が嘉数さんの温熱を受ける最後の機会になってしまいましたが、この時の施術は今でも感覚的にカラダが覚えていて、今の私の施術にも大きく反映しています。以前は熱が入ればOKという様な感じで施術していた時期もありましたが、海水温熱療法はそんなホットタオルの延長上の施術ではなくて、嘉数さんがチラッと仰っていた波動療法なんだということを体感させていただくことができた時間でした。
海水温熱療法は認知度が低いので母数は少ないですが、ファンも施術を必要とされてる方も一定数いらっしゃいます。そんな方々のためにも嘉数さんから学んだことを礎にこれからも精進していくことが私の努めですので前を向いて頑張っていきます。